日本仏教を形作った「共許」
最澄は、どれか一つの宗だけがあればよい、という考えではなく、三論宗と法相宗、あるいは南都六宗のような、考え方が異なる複数の宗が並立しているからこそ、多くの人々を救うことができるのだ、と考え、天台宗を含めた各宗の出家者に均等に定員を割り振る年分度者制の提案をし、それが後の八宗体制へとつながった。そこには、できたばかりの天台宗の人員を安定して確保したい、という最澄の個人的な思惑があったとしても、三論宗・法相宗の対立に対する詔勅にも見られるように、当時の人々に共有されていたものであった。
このような諸宗併存の体制を成り立たせた考え方の一つが、他宗による承認としての「共許」ではなかったかと思う。
感想
2021年11月20日放送のシラス番組「仏教と論争、あるいは歴史を描くこと――『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』刊行&『阿・吽』完結記念」で紹介された本。
仏教とは、過去の大天才達が、その才能の全てをかけて考え続け、それを幾代にもわたって継承し発展させてきた一大ジャンル。そのことは承知していつつも、そこで行なわれる論争を見ると、結局のところ「水掛け論」としか思えず、若干萎えてしまったというか。
著者は、「水掛け論」と捉えるのではなく、そこで用いられる技法からも思想を知ることができる、と肯定的に描くけど。結局、元々の「経典」自体を「信」と置くことから発生する問題。その「経典」が相矛盾してるんだから、当然起きる論争であり、水掛け論。「因明」のように、日本・アジア独自の論理学が発展していった様はなかなか面白いけど、その論理性・批判精神を、大元の「経典」にまで向けてほしかったところ。まあ、それをすると仏教自体が崩壊しちゃうからね。
それに、大元を置かなかった西欧も、それで行き着いたのは「我思う、ゆえに我有り」の考え方。そこまで至ったけど、そこから何かが生まれてくるものでもなく。科学・数学の果ても確定できないことが分かり。相対主義から始まってぐるぐる回り、他者論に落ち着く。結局、他者がいるから論争も起こせるということで、色々な考え方を肯定していく。
西洋・東洋、共に議論し続ける状態こそが至高、となってしまったわけだ。異なるアプローチを辿っても結局行き着いた同じような結論、これぞ「真理」と言えるんだろうね。なかなか面白い。
仏教に対する関心も、「結局同じ」となれば、だいぶ落ち着いてしまった部分もあるな。まあ、日本・アジアを観光するにあたっては「仏教」というのは押さえておくべき文化だし、もうちょっと知識を仕入れても良いとは思ってるけどね。