40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

宮本武蔵 「兵法の道」を生きる

武蔵の義父と目される「兵法者無二」は、豊後(大分)の日出3万石の藩主・木下延俊(秀吉の正室高台院の甥)に近侍していた。

武蔵は、関ヶ原の戦いの時には豊後での合戦と城攻めに参加し、大坂の陣、そして島原の乱と修羅場をくぐってきていた。

 

14世紀中葉より、室町幕府が後援する五山の臨済宗の禅僧たちは、悟りの風光を、漢詩水墨画枯山水の庭などに表現するようになり、この頃から禅仏教の芸術文化への影響が顕著になる。禅が、座禅することによりあらゆる所に真理が現成するとする中で、芸においても「無心」の境が求められるようになり、芸の至境を究めるために参禅する者も多くなった。

 

16世紀に発展した茶の湯は、隠者の「侘び」の美意識を根底に置き、禅の影響を受けながら、芸道の生涯修行という理念も受け継いでいった。
中世において諸芸諸能の道は、真実へ通じる通路となるという意味を持つようになり、それ故に一事に専念し、長年月にわたって型を繰り返し稽古して一途に修行を積むべき「芸道」という観念がはっきりと出来上がってきていたのである。

 

水墨画は、日本には鎌倉時代に禅仏教とともにもたらされた。室町時代に入ると、一方では中国の北宋の宮廷画院の系統を引く山水画や、漢詩と合わせた詩画軸が流行した。15世紀後半に活躍する周文や雪舟らはこの系統になる。他方、簡素で対象の本質だけを描くといった風の南宋水墨画も日本では珍重された。16世紀末になると、茶の湯の侘びの精神を受けて、水墨画は一層心味を主とするものとなる。
武蔵の画は、減筆体をさらに進めて、独自な風をなしている。山水画はなく、達磨図、布袋図、そして鳥の画をわずかな線で描く。
武蔵は、こうした中世に展開してきた禅や「芸道」における「道」の思想の流れの中で、「兵法の道」を「実の道に入る」「道」として位置づけようとしているのである。

 

 

感想

ここのところ、茶道や弓道等、「道」に関する思想・実践に興味を持っている。それの元となる禅仏教についても。その興味を広げるための一冊として本書を読んでみた。「剣道」も「道」の一つなので。

 

まずは宮本武蔵について、僕もご多分に漏れず吉川英治の小説でしか知らなかったからな。佐々木小次郎との戦いまでで終了。しかも、それらの話の内容がほぼフィクションであり、宮本武蔵の神髄はその後の生き方や五輪書にあったのにね。というわけで、初めて知ることばかりで知的好奇心を満たすことが出来た。

 

五輪書に表われる武蔵の思想も、当時の風潮・俗流に流されず、しっかりと自分の思想を打ち立てている。道に至った人の思想ってのは、時代を超えて通じるものなんだなあ。烏滸がましいけれど、現代人の立場からして感心してしまった。
同じように至った人達が伝承し発展させてきた仏教やら儒教といった思想の完成度は、今の僕が理解できる範囲を超えて有益なんだろうな。宗教に深入りするようなことはしないけど、その精髄はもう少し精査してみるのもいいかもしれない。