40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

禅と日本文化 対訳

禅の鍛錬法。それは真理がどんなものであろうと、身をもって体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬということである。禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)というのである。
この点において、禅は科学とは反対である。禅は体験的であり、科学は非体験的である。体験的なるものはまったく個人に属し、その人の経験を背景としなくては意義を持たぬ。科学は系統化を意味し、禅はまさにその反対である。

 

禅の茶道に通うところは、いつも物事を単純化せんとするところに在る。茶は原始的単純性の洗練美化である。自然に親しむというその理想を実現するために、四畳半の小室に坐るのである。
禅の狙うところも、いっさいの人為的な覆いものをはぎとる点にある。禅がまず知性と闘うのは、知性というものが実用には役立つであろうが、われわれが自分の実在をふかく掘り下げようとするのを妨げるからである。哲学はあらゆる問題を提供して知的解決を要求しようとするが、われわれの精神的満足はそれによって、かならずしも与えられぬ。

 

わびの生活。貧乏のうちに深く蔵されているところの、言葉では表わしがたい静かなよろこび。茶の湯はこの観念を芸術的に表現しようというのである。
茶人は飾り気ない小庵に静かに住み、思いがけなく客が訪れると、茶を点て、新しい花を生け、客は主の話と饗応に感じ入って、静かな午後を楽しむ。これが真の茶の湯ではないか。

 

 

感想

明治、大正、昭和時代の仏教学者かつ思想家である鈴木大拙。この本は、禅と日本文化について、英語圏の人に向けて書かれたもの。禅についてまだまだ深まってはいない僕にとっては、導入書としてなかなかぴったりな本になったんじゃないかな。

 

日本文化の色々な面に、禅の思想が表われている。アリリタした身として、禅・日本文化、共に親しんでいきたい。そのための知識として、得るもののあった読書となった。

 

禅は科学・哲学のように客観的で頭で理解するものではなく、身をもって体験して得るもの。こうして読書によって上澄みを得ようとするお手軽なものではない。ちょっと冷や水を浴びせられたかな。とはいえ、僕の今の生活は、多少とも清貧・孤絶と言えるものかもしれない。今の生活から、自ずと得る・至るものがあったら嬉しいんだけど。まあ、ネットが繋がっている現代においては、真の意味で孤絶ではないし、生活に困窮しているわけでもないので無理かもしれないけど。

 

哲学を学んでも、精神的満足に繋がるとは限らない。仰る通り、哲学者の末路は幸せとは程遠いものが多い。僕としては、真理に至ることより、生に充足することこそを望んでいるわけで。知的に頭を働かせるのは好きだけど、直観・感覚で生きることも、僕の性格・性向の一つとなっている。後者のほうが精神的満足に寄与するというのであれば、そっちをこそ優先して実践していきたいね。
禅は仏教・儒教道教神道・西洋哲学等、色々な思想を縦横に取り込んで直覚的経験に役立たせることが出来る。そういう点では、今まで学んできた知識も無駄ではなく、活かすことが出来る。興味・志向をも取り込み、全てを精神的満足に繋げていきたい。