40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

聖地巡礼−世界遺産からアニメの舞台まで

宗教を機能的に定義した場合、寺社や教団といった形態にとらわれずに宗教を考えることが可能になる。人生相談や占いによって生き方を考え直したり、ヒーリングや癒しの実践によって活力を取り戻すと感じられることがあれば、それらを宗教的な側面を持つものとして論じることができる。そして、自分探しの旅やリフレッシュのための観光も、場合によっては宗教的なものとしてとらえられるのである。


現代の大半の巡礼者は、従来のような信仰を持っていない。だが、歩くことを通じて、異界への没入感、精神的な浄化、「生かされている」という認識などを得ている。こうした体験や気付きは、本人たちが認識していなくとも、これまで宗教的体験と言われてきたものと変わりがない。


巡礼者が語る自分自身だけの巡礼の物語は、実はどれも似ている。特に目立つ共通点は、先に挙げた一連の精神的な気づきに加えて、シンプルな生活の快適さ、水や食事のありがたみ、他者に優しくすること/されること、新しい身体感覚の目覚めなどである。


趣味嗜好や価値観が細分化した現代では、集まりそのものが貴重に感じられ、比喩ではあれ、聖地という言葉が用いられると思われる。現代ではメンバーの流動性や一過性を特徴とするイベント的聖地が、私事化によって損なわれた共同性を補うように増加しているのである。



感想
宗教との関連、現代の共同性が失われた中で生まれた流れ等、かなり納得の行く論で、なかなか面白く読むことが出来た。「本物でない」ことへの忌避感ってのは、物事の一面を見すぎというか、もっと多様な見方を心がけないとと思わされた。占いやスピリチュアルをバカにしてきたけど、僕がしている観光だって似た面はある。実際、神社の神なんか信じてはいないわけで、そこに訪れることにどんな意味を見出しているというのか。そこが集積してきた思い・歴史を感じているとは言っても、それにふさわしい知識を取り入れてきたわけでもない。ほとんどスタンプラリーの様相。それを卑下ばかりするのでもなく、それぞれ個々人が持っている価値観を認めていかなくてはいけないよな。自分の趣味含め。


イベントごとの一過性の盛り上がりも醒めた目で見ていたけれど、一体感ってのは、実は僕もニコ動で得ていた感情でもある。人はやっぱりそういうのを求めるもの。地域に得られなくなった代わりを、みんな求めている。孤高を気取るのではなく、ありのままを受け入れ、ストレスなく生きていきたい。求めるのは、楽しさ・幸せの追求。自由がそれに資するのならば目指せばいいけど、支障になる部分があるならそこまでストイックに追求するものでもない。バランスを取らないとな。