ゲンロン4
「他の平面論 第三回」(黒瀬陽平)
もともと人格を持たない日本の神々が、仏教の神々として再編成され、人格を与えられるという神仏習合から本地垂迹への流れは、仏教に国教の座を奪われてしまった日本の神々の、部分的な復権という側面もあった。しかし、人格を与えられたがゆえに、日本の神々は仏になりきらぬ我が身を顧みて苦悩する、怨霊になってしまったのである。
そのような人格神としての怨霊を鎮めるための「技術」として、仏教が歓迎されたことは言うまでもない。そして、その技術の体系的な導入と構築を担ったのが密教であり、空海、最澄らであった。
感想
ゲンロン3の読書がなかなか進まず、ゲンロン4も並行して読んでいたため、読了タイミングが近くなった。
面白い記事もあれば、難しい記事もある。こういうのが、決め打ちの単行本では遭遇出来ない、雑誌形式の利点だよな、なんて思ったり。上記に挙げた日本の神々のついての言説は面白いし、ダークツーリズムは相変わらず安定して面白い。読んで満足するだけでなく、後に残る、思考を促される読書はやっぱりいいね。
単行本にもなっている「現代日本の批評Ⅲ」を再読。東さんは、2000年代に主流だった思想の流れは、批評家ではなく活動家だった、と認めている。批評の流れは先細りが続いており、今はお互いに肯定し合うファンしかいなくなってしまった。
ただ、活動家が何を成し遂げたかというと、何も無いってのが本当のところ。SEALDsを始めとして。なんの実行力も無い野党がああだこうだ言っているのと同じ。
だとしても、内に籠ってしまった批評家よりは、外に目を向けて動いている活動家のほうが、まだ未来に可能性があるのかねえ。
コロナによって状況がもっともっと悪化していけば、生存権すら脅かされた弱者が、さすがに立ち上がって運動を盛り上げ改革を成し遂げるのか?閉塞感は打破してほしいけど、逆方向に振り切れ過ぎて全てをめちゃくちゃにするのだけは勘弁してほしい。
個人的な好き嫌いは置いておいて、今後、そっち方面も多少はウォッチしていったほうがいいかもな。広い視野を求めていながら、結局タコツボの中に入っていては意味がない。僕の性向的に、深める方にはあまり向いていないんだから。広く浅くの嗜好を追求していきたい。