40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

35歳の教科書−今から始める戦略的人生計画−

「それぞれ一人一人」の時代になった今、日本人は大きな不安を感じるようになりました。ここにきて多くの人が「心の拠り所」を強く求めるようになったとも感じています。
それでは、何を拠り所として生きていけばいいのか。人は何らかの中間集団に属していたい。たとえば、年上の人が兄や姉のように感じられる地域集団があって、毎年開催される夏祭りに参加する。近所の商店街では、顔なじみの八百屋のおばさんが挨拶をしてくれる。そんなコミュニティが、人間には必要なのです。
すでに成熟社会を迎えたヨーロッパでは、産業社会とは別に教会を中心にしたコミュニティが機能しています。それが個人と社会をつなぐ中間集団となるのです。
現代の日本を見渡したとき、私には「ケータイ」メールのネットワークが中間集団の役割を担っているように思えます。もうひとつはブランドです。グッチやエルメスはもう古い、となれば、今度は「エコ」「古民家暮らし」といったコミュニティが次々に生まれます。
誤解してほしくないのですが、私はそれが間違っているなどと言いたいわけではありません。コミュニティには参加していいし、それで精神のバランスをとることは、現代日本では大切な「生きるノウハウ」かもしれません。実際、「それぞれ一人一人」になることは恐怖を伴います。その恐怖をどのように自分でコントロールするかについては技術が必要なのです。宗教に入信するのもひとつの手でしょう。コミュニティに参加したり、自分で新たなコミュニティを作ったりするのもいい。怖さをいかに癒すかは、戦略上、欠かせないファクターになる。ただし、確信犯として加わることが大切です。宗教や宗教的なものを、道具として扱える感覚が必要になっているのだと思います。


子供が大人になるとは、いったいどういうことでしょうか。何ができると、大人として認められるのでしょうか。私は「素の自分」だけでなく、「演じる自分」というのがいるかどうか、が分かれ目になると考えています。もうひとつは「公共的なリテラシー」です。公共の場で論理的に議論できるかどうか。この世界には実に様々な考えを持った人がいる。自分とはまったく違った価値観で生きている人もいる。そうした人たちといかにして関わっていくのか。議論をして接点を見つけていくことができるか。多くの人と出会い、コミュニケーションを深めていくことで公共心が身についていく。それが大人です。
最後に、最も大切なのが「クリティカル・シンキング」です。物事を短絡的なパターン認識で捉えない。多面的な複眼思考ができるかどうか。これも大切な大人の条件です。


感想
「35歳の」教科書ってことだけど、先を見据えて行動するのはいいことだからね。早いってことはない。実際、結構参考になった。「コミュニティには確信犯として加わる」ってのは、本当にその通り。完全に頷ける。でも往々にして、そのコミュニティにどっぷりと浸かってしまうと、そういう大きな視点から物事を見れなくなってしまう人が多いんだよなあ。僕にとっては、そういう一歩引いた見方ってのはもう魂に刻まれた姿勢だと思っているんだけど、それを過信することなく、常に意識していきたい。
地域っていうコミュニティには興味あるんだけど、その前にまず家族っていうコミュニティを築きたいなあ。そこは意気投合するだけじゃない、緊張感もある場だと思うし。家族間でも演じる必要性があるってのは、悲しむべきことというより、むしろ当然のことだろう。そこでの関係は、あって当たり前のものではなく、意識して築き上げなければいけないもの。そうやってお互いに努力するからこそ、暖かくて安心できる、そしてずっと続く関係を作れる。演じるっていっても、仮面を被って生活するっていう意味じゃない。演じるというのと、無条件で受け容れてもらえる場、っていうのは両立するものだと思う。というか、無条件以前の、前提ってことかな。それじゃあ無条件じゃないだろう、って話かもしれないけど。
40代50代を見据えた、しっかりとした目標を掲げ、それに向かって突き進んでいきたい。