幸福論 第2部
- 作者: ヒルティ,草間平作,大和邦太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1962/11/16
- メディア: 文庫
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愛だけが、人間をあるがままにしかと知りながら、しかも人間を見捨てずに済むのである。愛のない人間知は常に不幸であり、それは、いつの世を問わず多くの賢明な人たちが陥った深い憂鬱の原因であった。かような場合、彼らは同じ人間仲間との交わりをあきらめるか、それとも独善独裁にのがれるほかはなかった。なぜなら、いったん人間を知ったからには、人間と交わるには結局二つの道しかないからである、すなわち、恐怖によるか、愛によるか。その中間の道はすべてごまかしである。
教養に必要なものは勤労である。勤労は教養を得るためにぜひとも必要な手段であるばかりでなく、働かないこと、すなわち怠惰は、世間でいうように「遊んで暮らせる」身分の場合でも、つねに教養とは正反対の、卑しい心掛けのしるしである。
老年の円熟を示す一つの主な特徴は、人生において普通なら互いに排斥して相容れないようなさまざまの性質、たとえば素朴と聡明、威厳と無邪気な快活、洗練された趣味とまったくの簡素、厳粛と温和、明解な知性と感激性などが、一つに融け合っていることである。こうした調和こそ、その人がこの地上で可能なかぎりの完成に達しているという印象を与えるものである。
感想
前に読んだ「幸福論」の第二部。今回の読書でも、どう生きるべきかに関する興味深い言葉に出会えたかな。ただ、前巻以上に宗教色が強い。結局、著者が述べることって信仰という土台・前提あっての提言だからな。そこを共有しない僕には、本当の意味で有益なものにはならないかも。
まあ、そうやって全てを捨ててしまうのももったいない。多少効能が薄まるとしても、響いた部分はあったんだから、そういうところを大切に取り入れていけたら、と思う。
そうは言いつつも、これだけ神を信じることの効能を言い立てられると、逆にちょっと反発心が湧いてきてしまうんだけどね。それって本書で戒める、傲慢や虚栄心じゃないの?って。まあ、そうやって上から目線なことを言うと、今度はまた自分のほうが傲慢不遜になってしまうわけで。
人のことには口を出さないのが一番。停滞に陥らないためにも、一定数はそうやって掻き乱す人が必要だとは思うけどね。そういう人って、愛があるからなのか、影響力を及ぼしたいからなのか。まあどっちでもいいんだけど。
余暇を持ちすぎることの危険について。暇を持て余すと碌なことにならないからな。僕も、怠惰に陥るようなアリリタはしないように注意しよう。
真の教養についての話も興味深い。別に、人間として完成することを人生の目的とはしていないし、執着するつもりはないけれど、至れるものならば至りたい道ではある。余暇を用いた目標の一つとして。