40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

監視資本主義

個人情報の供給ルート
アンドロイド携帯、グーグル検索、Gメール、グーグルペイ、ユーチューブ、グーグルマップ、グーグルフォト

 

知識はわたしたちを自由にするのではなく、自由という幻想から解放する。自由と無知は同義語。私たちが自由、意志、自律性、目的、作用といった概念に執着するのは、人間は無知だという不快な現実から目を逸らすための、防衛メカニズムなのだ。

 

何を望み、それをどうやって実現するか、何に価値を認めるか、といったことはすべて、他者との合意によって決まります。行動は、個々人の脳から生まれるものではなく、社会のネットワークから生まれるのです。

 

自由意志という概念は、「他の何百万人もが構築した社会環境によるコントロールの下でわたしたちが生きていること」を科学がまだ実証できていなかった暗黒時代の遺物。
「人は世界に作用しない。世界が人に作用するのだ」
「政治的見解から聴きたい音楽の選択に至るまで、人間の行動の大半は、どうすればクールか、・・・他の人はどうしているかによって決まります。」

 

 

感想

2021/12/21放送のシラス番組「東浩紀突発#36」で紹介された本。

僕は自由・自律への強い思い入れがある。それを求めてアリリタしたわけだし。それが今、監視資本主義によって脅かされている現状にはもっと注意と覚悟を持っていかないといけない。それを改めて思わされた。

 

とはいえ、そもそも「人に自由がある」というのが幻想であるというのも頷ける指摘。社会環境、親の教育、これまでの経歴。そのすべてに影響を受けて今、存在しているわけで。そこからの自由はあるはずもなく、それを受け入れた上での自由にならざるを得ない。そういう意味では、監視資本主義の支配も、抵抗できるようなものではなく、それを所与のものとして、その上でどれだけ抵抗できるか、束縛の外を見出すことができるか、の勝負でもあるのかもな。自分自身でそれを認識し、吟味し、それで行動できているなら、それでもいいんだろうと思う。主観的自由の確保。

 

今後とも、実は巧妙に誘導・操作されているという可能性・事実は頭に入れつつ、主観的・認識的な自由は行使している状態を保ち、心の平静・平安・解放感の中で生きていきたい。