40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

ルポ貧困大国アメリカ

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

一つの国家や政府の利害ではなく、人間が人間らしく誇りを持って幸せに生きられるために書かれた憲法は、どんな理不尽な力がねじふせようとしても決して手放してはいけない理想であり、国をおかしな方向に誘導する政府にブレーキをかけるために私たちが持つ最強の武器でもある。
何が起きているかを正確に伝えるはずのメディアが口をつぐんでいるならば、表現の自由が侵されているその状態におかしいと声を上げ、健全なメディアを育て直す、それもまた私たち国民の責任なのだ。人間が「いのち」ではなく「商品」として扱われるのであれば、奪われた日本国憲法二十五条を取り戻すまで、声を上げ続けなければならない。
この世界を動かす大資本の力はあまりにも大きく、私たちの想像を超えている。だがその力学を理解することで、目に映る世界は今までとはまったく違う姿を現すはずだ。闘うべき敵が分かれば戦略も立てられる。大切なのはその敵を決して間違えないことだ。
無知や無関心は「変えられないのでは」という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが目を伏せて口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ。そして大人が自ら舞台をおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始まりになる。


感想
クーリエジャポン3月号を読み、アメリカの貧困状況について興味を持ったため、その記事を監修した人が書いた本を読んでみることにした。めちゃくちゃ興味深い内容だった。
医療保険について。最近のニュースでも、医療保険法案がぎりぎりで成立したけど、国民の多くは反対しているらしい。まあ、気持ちは分からないでもない。税金を使って無保険者を減らすってわけだからな。自分たちは高額な保険料を払っているのに、なんでそれを放棄している人たちを救済しなくちゃいけないのかって。アメリカ人が培ってきた自主独立・個の尊重っていう気質も大きく影響しているらしい。でも保険の内実を知ればそうも言ってられないんじゃないかなあ。無保険者が6人に1人もいるってのは、怠慢とか自己責任とかの問題じゃなくて、もう仕組み自体が何かおかしいってことだろう。自分がその状態に転落する可能性だって高いんだから、セーフティーネットは整備しておくべきだ。まあ、本当に自分がそうならないと理解できないんだろう。情報の持つ価値ってのは、これにおいても言える。
でも今回のアメリカの法案成立もまだまだ道半ばだよなあ。皆保険といっても、結局民間の保険で、公的保険じゃないんだからな。保険会社は利益を上げることがその存在目的であり、そのために出来るだけ保険金の支給を減らそうとする。保険に入っていても、いざ病気になってみたら保険金が下りなかったなんていう話も多いし。基本的なところは政府が保証する、日本式の制度まで持っていかないと。でもその際の反対は、今回の比じゃないんだろうな。保険業界は軒並み反対するだろうし。そういうところと繋がっている政治家に推進することができるか。怪しいなあ。国民の声こそがそういうのを打ち破るんだろうけど、マスコミに誘導されている現状ではなあ。そういうのも、今後ネット世界の普及深化によって変化するんだろうか。そうなったら面白いなあ。そうしなきゃいけないんだけど。


そして、故意に格差を生みだし、兵士として徴用する仕組み。ここにも政府と大資本の癒着が見られる。日本だって他人事だと言ってはいられないだろう。沖縄の米軍基地問題から、日米安保についても議論されているが、日本が国防をどうするのか、憲法九条をどうするのか、考えていかなければいけない。最近、それぞれの立場のことがちょっと分かってきたと思う。誰だって戦争には反対だ。でも、それを阻止するための考え方が異なるんだろう。一方は、他国による国土侵入を阻止するために最大限の備えをすべきだと言う。もっと自衛力を強化して、長距離ミサイルだって持つべき。それは使用するためじゃなくて、持つことにより他国を牽制するため。でもこれって、核保有国が核を持つのと同じ理由だよな。これが進めば、核だって持つべきってなっちゃうんだよなあ。
だからこそ、最初の芽を摘むためにも、もう一方の人たちは自衛隊にすら反対する。そういうところから次々に妥協して軍備拡大していくことを恐れている。最適な場所なんて見つからないし、たとえそれが見つかったとしても、本当にその状態を保つことが出来るか。人の思いなんて状況次第でころころ変わってしまうものだ。だからこそ憲法九条という最大の抑止力を死守したいんだろうなあ。
どちらの気持ちも理解できる。そして、それは話し合ったからといって解決するものでもないかもしれない。でも、僕はそれでも話し合うべきだと思う。解決するためじゃなくて、そういう対立があるってことを全国民に知らしめるためにこそ。教科書問題でもそうだけど、確定していないことには触れない、ってのは問題だと思う。そういうことをするから、その存在自体知らない人が増えてしまう。そして知識がないもんだから、一方の側の意見を鵜呑みにして容易に受け入れてしまう。そしていつの日か世論が一方の側に偏ってしまう。始めの時点では拮抗した意見だったはずなのに。常に話し合う中にこそ、両者のバランスを保つ道があると思う。高度な技術が必要だし、議論を続ける分余計に労力がかかるのは分かるけど、決して安きに流れるべきではないだろう。そういう成熟した世の中を目指していきたいし、その前に自分自身、そういう人間になれるよう、居続けられるよう、努力していきたい。