君たちはどう生きるか
- 作者: 吉野源三郎
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2000/07
- メディア: 単行本
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コペル君はあぶらげというものが、とうふをあげたものだということを、このときはじめて知りました。
ぼくたちは人間として生きていく途中で、子どもは子どもなりに、また、おとなはおとななりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。もちろん、それはだれにとっても、けっして望ましいことではない。しかし、こうして悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、ぼくたちは、本来人間がどういうものであるかということを知るんだ。およそ人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるということは、人間が本来そんなみじめなものであってはならないからなんだ。コペル君、ぼくたちは、自分の苦しみ、悲しみから、いつでも、こういう知識をくみだしてこなければいけないんだよ。
自分のあやまちを認めることはつらい。しかし、あやまちをつらく感じるということの中に、人間のりっぱさもあるんだ。コペル君、おたがいに、この苦しい思いの中から、いつもあらたな自信をくみだしていこうではないか、正しい道にしたがって歩いていく力があるから、こんな苦しみもなめるのだ、と。
感想
この本は、中学生に向けて書かれたものらしい。でも今の僕にもすごく興味を持って読むことができた。人の生き方とか思想・哲学ってのはある時点で完成するってわけじゃないからな。まあ中には完成したものとして作り直していくのを止めた人もいるけどさ。でも、「この世に絶対はない、完璧はない」と思っている僕としては、常に学び続け、変化し続け、成長し続けていきたい。僕自身がこういうことを考え出したのはそんなに古いことでもない。中学生時代はそんなこと考えていなかったなあ。高校でもそうかも。昔から考えている人とは深みに差があるんだろうな。まあ、そうやって人と比較するものでもないんだけど。でも、是非とも中学生からこういうことを考えていくことをお勧めしたいな。より充実した日々を過ごせると思う。
コペル君が、自分では望まず友達を裏切ってしまった話は、とても胸に迫ってきた。感極まってしまった。こういうこと、僕もあった。すごく苦しかった。自分がどうやって抜け出したのか、よくは覚えていないけど、多分時間が解決するのを待ったんじゃないかな。コペル君のように真正面からは取り組まなかったと思う。その勇気にめちゃくちゃ感動した。及ばないなあ。ここまでの勇気を持つ人間になりたいものだ。
この本は2000年に出版されたものだけど、実際に書かれたのは1937年。日中戦争が始まり、太平洋戦争へと向かって進んでいるところ。そんな時代でもこういう本を出そうと思った人たちがいるってのは凄いなあ。その思想はそのまま現代でも通用する。やっぱり人にはどんな時代や環境でも変わらないものがあるってことなんだなあ。
一点だけ。「人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるということは、人間が本来そんなものであってはならないからなんだ。」ってのは、一面確かにその通りだと思う。でも人間ってのは分不相応な願いを抱くこともあるからな。どうにもならないことってのもあるし。例えば完全を望んだり永遠を望んだり。人の願いを全面的に認めてしまったら、そんな歪んだ、届かない願望も含んでしまう。それが向上心や成長に繋がる面もあるだろう。「もっともっと先を」と望んできたからこそ今の発展した世の中があるとも言える。でも現実とのギャップを調整しきれず壊れてしまう人もいるだろう。何かに縋って生きるようになってしまう人もいるだろう。何事もほどほどに、バランスを保って、ってことだよな。時が経って現実に直面すればそこら辺は自分で気付いていくことだとは思うけど、それが出来ない純粋すぎる人もいるし、若い時ってのは得てして純粋なものだし。ちゃんとそこはケアしてあげないといけないんじゃないかな。って、あまりに現実的すぎて夢を奪う行為かもしれないけどね。
最後に、油揚げが豆腐を揚げたものだってのを初めて知った。恥ずかしながら。豆腐を揚げたものは食べたことがあるけれど、確かにあの豆腐の周りに付いているカリカリの部分は油揚げだよな。自分の中で結び付いていなかった。