40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

街場の中国論

街場の中国論

街場の中国論

「中国政府は効果的に国内を統治できていない」という評価が国際社会から下されることをもっとも恐れているのは中国政府自身です。したがって、デモをコントロールできていないのだけれど、あたかもコントロールできているかのようにふるまっている。でも、中国政府としては「政府は国民を統治できていない」と言われるよりは「政府は反日的である」と思われるほうがまだましなわけです。

日本はアメリカと中国という二つの「中華」にはさまれて、今どうしていいか、わからなくなってきている。それが日本の当惑の構造のように僕には思われます。日本にとって「新米」と「親中国」はゼロサムの関係になっている。アメリカにすり寄ると中国との関係が冷える。中国に接近するとアメリカと疎遠になる。どうも1970年代からその繰り返しです。日本人の気分として、どちらかを「中華」にしないと気分が片づかない。そして、米中のどちらを「中華」とみなすかで、そのつど華夷秩序が書き換えられて、どちらに「いい顔」をすべきかが決まる。

教科書的には、日本の近代化は明治維新で中央集権的なシステムができて、それが強権的に富国強兵路線を突っ走ったせいで近代化が実現した、というふうな説明が多いようですけれど、僕はその前の幕藩体制期に「近代化の下絵」はもう描かれており、留学生の派遣や人材の大胆な登用にも着手できていたということのほうが、明治政府の強権的政治運営よりもむしろ近代化にとっては決定的だったのではないかと思います。現に、それから以後、日本的システムは中央集権化が進むにつれて、フレキシビリティと創造性も失って硬直化・均質化し、最後は「翼賛体制」の完成と同時に崩壊します。


感想
この本は凄いね。色々考えさせられた。内田さん自身はアメリカびいきでも中国びいきでもないとか言ってるけど、明らかに中国寄り。「華夷秩序の中に入ればいいじゃないか」とか言ってるしね。「日本はそれで長い間上手くいってきたんだから」って。父親が中国寄りの人だったらしいんで、その影響を強く受けてるってのもあるのかも。まあ、僕も最近小林よしのりさんの本を読みまくり、多少右寄りっぽくなっている面もあるかもしれないけどさ。
とはいえ、著者の見方を否定しているわけではない。逆に、こうして反対の立場からの意見があってこそ、自分の中での思考も深まるってもんだ。僕としてはどちらか一方に偏るつもりはないし、バランスを取る意味でも、この本を読めて良かった。納得できる部分も多かったしね。小林さんと対談とかしてくれたら面白いことになりそうだなあ。まあ、小林さんは受け入れなさそうだし、内田さんも流しそうだけどね。
「中国が国内を統治するために抗日が必要」なんだと。中国が崩壊して生じる影響とは比べられない、と。大人な意見だなあ。大人というか、ある意味過激な意見。まあ実際そうなんだけどさ。そうだとしても、それを認めて受け入れてしまうと、どんどん無茶な要求をして攻め込んでくる。今までの歴史が証明しているように。だから、そういうカラクリを理解した上で、現状維持に持ち込むためにも、中国への対抗論は打ち出していかないといけないよな。
「日本の国粋主義者が新米である理由」についての考察も面白かった。日本の国体は敗戦で途切れたのか?どうなんだろう。その当時の人じゃないと分からないのかなあ。それとも、もっと時が経って後から振り返らないと分からないことなのかなあ。僕自身は今のところ、日本の国体は何も変わっていないと思っている。
中国の「王化戦略」についての内田さんの考えも面白い。理想化しすぎているように感じるけどさ。ただ単に、昔は外に目を向ける余力がなかっただけじゃないの?内を裁く時の残虐性は酷いもんだし。国境を画定したくないのも、際限なく拡大していくためじゃないのかなあ。決めちゃうと、それ以上広げられないからね。でもまあ、そういう考え方もあるってのが分かったのは収穫かな。
あと興味深かったのは、漢族による官僚機構は支配者が変わっても継続していた(元時代の初期を除く)ってこと。そうなると、ある程度は中国の歴史には継続性があったのか?支配者が変わると敗者を皆殺しにし、歴史を破壊・断絶したって聞いてたけど、それは支配者層だけだったのか?もうちょっと深く調べてみたいな。
色々と自分の中で引っ掛かるポイントがあり、とても楽しかった。それにしても内田さん、批判を恐れずこういうことを言ってしまえるってのは凄いよな。こういうことを言える人がいるからこそ議論を深められる。貴重な人だ。大事にしていかないといけないよな。