40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

むかし僕が死んだ家

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

感想
東野圭吾さんの作品を初めて読んだ。この人の名前は今まで何度も聞いたことはあったんだけど。でも今回、ネット上で「伏線が凄い作品」として紹介されており、興味を持ったんで読んでみた。
感想としては。作品が素晴らしい出来なんだろうってのは分かる。思わず作品の中に引き込まれてしまう。でも、なんだろうなあ。僕にはミステリーとか推理物とかいう分野が合わないんだろうな。
「伏線が凄い」っていう話だから、注意深く読み進めた。なにか匂わせてるような文章はよくチェックした。だから、日記の中に『チャーミー』についての記述が出てきたとき、これは猫ではなく人、多分沙也加なんだろうなと思った。他にもいくつか、予想が当たっていたものはあった。もちろん、全然分からなかったものもたくさんあったけど。
でも、そもそもミステリーってのは読者のミスリードを誘おうとするもの。この本においても、主人公が重要な情報を隠す。十字架に彫ってある、「サヤカ、安らかに眠れ」という文面を。こういうのをズルイと思ってしまうんだよな。情報は素直に出せよ、と。結局、全ての謎は著者が握っており、何を明示するかは著者次第。読者は著者が意図的に小出しにする餌に食いつくしかない。それが断片的な情報であっても。そういう著者と読者との立ち位置が気に入らない。著者が隠そうとすれば、何だって隠せるじゃないか。
もちろん、そういうヒントを全て組み合わせればちゃんと解き明かせる作りにはなっているんだろう。その時、著者の挑戦に打ち勝つ喜びってのがあるんだろう。でも、何でわざわざそんなことに取り組まなくちゃいけないんだよ。焦らしは要らない。こっちはさっさと事実が知りたいだけ。試行錯誤を楽しむ余裕は持ち合わせてないんだよ。
まあ、どんでん返しは好きなんだけど。後から、「これはああいう意味だったのか!」と理解して感動することもある。でも、僕は全ての伏線を回収できるほど繊細・緻密に出来てないんだよな。それよりも、早く先を知りたい、って思ってしまう。読み終わった後で振り返るのは好きだけど、一つひとつ熟考しながら読むのは性に合わない。一つ、大きな仕掛けを用意してくれればそれで十分満足。
そんな僕にも合う作品があるなら読みたいな。