日本農業への正しい絶望法
- 作者: 神門善久
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/09/01
- メディア: 単行本
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農業者が技能習得に専念しにくい状態にある。
第一に、「能書き」やら生産者の顔写真やらの演出・宣伝が偏重されるようになり、消費者が舌で農作物のよしあしを判定する習慣を失った結果、よい農作物を作るよりも演出や宣伝に力を入れたほうがトクという状態にある。
第二に、農地利用が無秩序化し、いくら本人が耕作に励んでも、周辺で不適切な農地利用をされて台無しになる危惧がある。このような状態では、農業者が技能習熟の意欲を失うのも無理からぬところだ。
日本農業は生産の増大を目指すのではなく、耕作技能の養成を目指すべきだ。日本の技能集約型農業が育ってこそ、日本農業の強化にもなるし、日本経済全体、さらには国際経済全体にとって好ましい。
戦前にナショナリズム的な報道が増えたのは、政府の統制の所為というよりもマスコミが大衆迎合的な記事を書いて売り上げを伸ばそうとしたからだというのが、今日のマスコミ研究者の中ではほぼ定着した見方だ。今日、農工商連携がやたらと賛美されるのも同じような大衆迎合だろう。昔も、今も、マスコミや「識者」の行動原理は大して変らないものだ。
感想
前に読んだ「さよならニッポン農業」という本がそれなりに面白かったので、同じ著者の最新本を読んでみた。著者の指摘も提言もその通りなんだろうけど、実現性は乏しいだろうな、というのが正直なところ。まあ、著者本人も既に諦めているふしはあるけれど。
個人的には、農作物の栄養価が低下しているってのは何とかしてほしい。わざわざ気を付けて野菜を採るようにしているのに、効果に乏しいのでは悲しすぎる。サプリでは補助程度にしかならないって話だけど、早いとこ何とかならないかな。そのほうが楽なのに。
そういう、あまり食には関心のない僕だからこそ、舌には全く自信がないんだよね。そういう人が増えてきたことが、農業の衰退の一因でもあると著者は指摘する。これも仰る通り。ただ、だからといってそれを逆転させることは不可能だろう。国民の大多数には、質を追求できるような時間・お金・エネルギーの余裕はない。
そうした流れの中で、技能集約型農業を目指すのもどうなんだろう。量を減らして質を増やすことを、大多数の人は求めているのか?高級品を作られてもなあ。もちろん、一部の人たちの需要はあるだろうけど。
僕が興味あるのは、食料の安定供給を確保すること。自給率なんてどうでもいい。TPPを推進するのだっていいだろう。ただ、安定供給を脅かす様々なリスクにしっかりと備えてほしい。それを確保するのに必要ならば、国内農業を保護してほしい。もちろん、効率は追求してもらうにしても。補助金目当ての兼業農家は要らない。そしてそこに求められるのは、質ではなく量だろうな。マニュアル依存型大規模農業で十分。
質を追求する農業は、それを求める人たちで何とかしてもらえばいいだろう。需要があるのならば供給も出来るはず。結局、生命の維持を超えた、贅沢品の部分なんだし。まあ、著者が言うように、本当に技能の向上が日本経済全体にとって好ましいならば、それを目指してもらってもいいんだけどさ。
なんにしても、今後農業問題・食料問題がどうなっていくのかは興味深いところ。チェックしていこう。