遺言。
数学が最も普遍的な意識的行為の追求、つまり「同じ」の追求だとすれば、アートはその対極を占める。いわば「違い」の追求なのである。ヒトそれぞれ楽しめばいい。楽しくないなら、関わらなければいいのである。
一人暮らし、独身者の急増。なにしろ結婚しない。生身のヒトはいわば「雑音を含み過ぎている」。意味を持たない、さまざまな性質が生身には含まれてしまう。そんなものはいらない、面倒くさい。小さい時から、(意味で満たして)できるだけ恒常的な環境に置いて子どもを育てるのだから、そうなって当然であろう。
こうした現代生活は人生の意味を剥奪しているのではない。むしろ「意味しか存在しない」社会を作っている。それが情報化社会である。情報とはすなわち意味でもあるからである。
感想
Amazonで本を漁っていたところ、養老さんが本書を出しているのを見つけた。「バカの壁」は読んだことあるし、他にお何冊か読んだ覚えがある。本作は「遺言」というくらいだから、これまでの主張の総まとめのようなものなんだろうと思い、読んでみることにした。結局、特にそういうわけでもなく、これまでの著作の延長上、最新作、くらいのものでしかないと思ったけどさ。80歳になったから、お迎えも近いだろうから、くらいの意味。
でもまあ、この人はいつも普通とは違う面から社会を切り出し指摘してくれるので、新鮮ではあるんだよね。時折読むと思考が刺激されていい。
周りを意味で満たし、「同じ」を追求するからこそ、時にはその逆を求める。アートに触れたくなったり、旅に出てみたくなったり。人ってそういうものだよね。それでバランスを取っている。一方に偏りすぎてストレスを溜めたり行き詰まったりするのではなく、そうやって偶には解放してやらないとね。自分の心の求めるまま。これまでの人生、意味を求めすぎてきた部分もあるからな。