40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

歴史修正主義とサブカルチャー

歴史修正主義の主張は学問のフィールドでは共感も評価も得ていない。他方で、歴史修正主義と親和性が高いのは、ビジネス系の自己啓発書、保守論壇誌、週刊誌、マンガなどの商業出版とインターネットである。それらは、言説内容の正しさよりも「売れる」かどうかを優先する「文化消費者による評価」を至上命題としているメディアである。

 

歴史修正主義の主張に、どのような「真実」もない。歴史修正主義は、私たちの「真実」と「嘘」を見分ける理性をこそ攻撃しようとしている。メディアで同じ主張が繰り返されれば「真実」なのか。一定数の賛同者がいれば「真実」なのか。相対的ならば「真実」なのか。売れれば「真実」なのか。
いまなすべきことは、彼らの「知」のあり方を熟知することだ。

 

 

感想

本「教養としての歴史問題」の著者の一人であり、その本で紹介されていたので読んでみた。歴史修正主義への、学者からの反論。なかなか興味深かった。

 

僕も小林よしのりの「ゴー宣」に衝撃を受け、読み耽ったクチだからね。実体験として、そういう言説が蔓延る現状の分析を楽しむことができた。言説が残り続けているからといって、それが正しいとは限らない。学界に閉じ籠る専門家と、売れれば何でもありで後から後から生まれてくるアマチュア言説。商業主義の果てにいる現在。これが正される未来はあるのか?まあ、厳しそうだよなあ。

 

専門家も、専門分野が細分化されてしまっており、一定の大きさの空間における発言力を保持できなくなっている。分野を横断できない、専門家の弱み。そうして手をこまねいているところを、アマチュアに荒らされてしまった。そしてそれが金になる現状、歯止めもかけられない。あとは、個人が、個人として対処するしかなくなっている。

 

そして、僕がいつも身を置いている「相対主義」「相対化」も問題であるとの指摘。これは、言われてみれば確かに!どんな低質な意見でも「相対化」によって対等の位置に置く。それこそが、彼らの狙いなわけだからね。地位の向上に、期せずして力を貸してしまっているわけだ。これには反省させられた。といって、全ての主張の真偽を判断できるほどの知識を有しているわけでもなし、限界はあるわけだけど。それでも、問題に直面した時には、その時点での自分の「立ち位置」というものを定めるよう、努力していきたいもんだ。

 

「ゴー宣」の総括、僕の中で出来ていないので、本書で紹介されていた「脱ゴー宣」には興味がある。他にも、過去ブログで紹介し、その後、更新していない意見・感想も結構ありそうだよなあ。

来年、これまで書き溜めたあらゆるデータの総まとめをする予定だけど、その際、過去ブログの言説への補足も行っていこうかなあ。