40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

戦国武将、虚像と実像

「悪名は無名に勝る」という言葉があるが、明治期の信長は、悪役的な人気すらなかったのである。織田信長が大英雄として脚光を浴びるきっかけを作ったのは、徳富蘇峰の『近世日本国民史』(1918年連載開始)である。徳富蘇峰織田信長を「旧社会を打破して、新社会を打出するに、最も適当なる、天の配剤」と絶賛する。この蘇峰の革命児信長像が、現代に至るまで強い影響力を保ち続けたのである。

徳富蘇峰の意図は明らかだろう。大日本帝国の大陸進出を肯定するために、江戸幕府鎖国政策を批判し、帝国主義を無意識のうちに実行した織田信長豊臣秀吉を持ち上げているのである。

 

歴史小説の書き手も読み手も、歴史小説を単に娯楽作品として生産/消費しているのではなく、「歴史に学ぶ」「過去から学ぶ」という意識を持っている。だが大前提として、その「歴史」が歴史的事実かどうかの検討は不可欠である。
真偽が定かではない逸話を史実のように語り、そこから教訓や日本社会論を導き出す司馬遼太郎のような態度には、やはり問題がある。

 

本書で見たように、英雄・偉人の人物像は各々の時代の価値観に大きく左右される。歴史から教訓を導き出すのではなく、持論を正当化するために歴史を利用する、ということが往々にして行われる。日中戦争を正当化するために秀吉の朝鮮出兵を偉業と礼賛する、といった語りはその代表例である。問題意識が先行し、先入観に基づいて歴史を評価してしまうのである。

 

 

感想

著者は呉座さん。やっぱり呉座さんはいいね!学界に閉じ籠らず、一般読者に目を向けて本を書いてくれる歴史学者ってのは貴重。今後とも、その姿勢を貫いて本を出していってもらいたい。呉座さんはシラスを離れ、Youtubeにチャンネルを開設した。放送、時間がなくて見れていないけど、時間を取ってチェックしていきたい。

 

時代ごとに変わってきた戦国武将の評価について。各人物について、時代ごとの評価の変遷を教えてくれる。江戸時代は徳川を批判できないし、明治になるとその枷が解かれて徳川批判も出回る。戦時下になると、過去の大陸進出者が評価を上げ、戦後になるとそれが貶められる。まさに、時代の空気によって評価が180度変わってしまう。本も、その時代の空気に合わせて作られる。客観中立公平はあり得ない、と。そのことが本当に良く分かり、かなり興奮する読書となった。

 

僕も本で得た知識で認識を定着させてしまっていた部分もあり、それを修正できたのは収穫だった。それにしても、司馬遼太郎は凄いね。過去の解釈を利用した部分もあったとはいえ、彼一人の解釈によって日本人の歴史観が固定されてきた部分も大いにあった。それがここまで成功した例は、あまり無いんじゃないかな。改めて偉大。それだけ、惹きつけるものがあるんだろう。その偏りには注意しつつも、司馬本は今後とも色々読んでいきたい。

 

自分の主張を通すための、補強として用いる歴史。自分の思想を強化するための歴史。それが危ういものであることも認識できた。そして、その偏りは、時代の空気・価値観に晒された身においては、絶対に影響を受けてしまう、仕方ない部分もある。だとしても、そういう影響は少なからず受けているということを自覚し、その上で、自分の主張・思想を固めていきたいね。それが砂上の楼閣かもしれないことを意識しつつ。不安定の上に立つ。柔軟性のある中庸は、いつでも大切にしていきたい。